
写真:氏原睦子
広島市街地を貫いて流れる6本の川では、干満差の大きな瀬戸内海のまちならではの光景が
みられる。満々と水をたたえたかと思えば、数時間後には干潟が現れ、その表情は実に豊かだ。
まちの至る所にある雁木(がんぎ)もまた、瀬戸内の「水の都」を象徴している。
雁木とは階段状の護岸を言い、潮位の変動に応じて船の離着を可能にする。太田川下流のデ
ルタに築かれた広島の都市づくりは、干拓と治水という水辺とのかかわりの中で進められ、護
岸づくりそのものが「まちづくり」だったともいえる。雁木はこの過程で造られ続け、その数
は約400カ所。現在でも河川改修にあわせて増減している。
「雁木」のいわれには諸説あるが、広島ではお城の堀の階段を渡り鳥の雁(がん)が飛ぶ様
子、「雁行」にたとえたという。古くから染めなどの工芸の世界で「雁木模様」、将棋の世界
では「雁木」。いずれも角が並ぶ形状に由来して使われる。
昭和20年代まで、広島市民には雁木を使って日常的に川に下りる暮らしがあった。そんな経
験を持つ地元のお年寄りの中には、川底を歩く小道や水制工など、水辺に近づく機能を持った
構造物を総称して、「雁木」「まる雁木」などと親しみを込めて呼ぶ人がいる。かつて人の暮
らしと川とが近い関係にあったことをうかがい知ることができ、興味深い。
舟運華やかなりし時代には橋を中心に栄えた広島のまちだったが、戦後は水辺に背を向けた。
川は町の裏側となり、行政区や地域の境界線となってきた。けれども、近年になって水辺を活
かしたまちづくりの意識が高まり、水辺という公共空間をもっと身近に近づけようとする取り
組みが、官民で積極的に行われている。
NPO法人雁木組は7年前、「雁木」に街の暮らしと自然とのしなやかな関係を発見し、雁
木の存在に広島の豊かな歴史を見出し、現代の生活に活かそうと発足した。雁木を再び船着場
として活用する水上タクシーの運航を通じて出会った人々や、その営みを紹介していきたい。
文:氏原睦子=雁木組理事長(2011年04月21日 毎日新聞「雁木だより」から)

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