2011年07月28日

雁木だより-4 勇壮な漕伝馬、待望の復活 

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写真:山崎 学
 
 広島の夏祭りと言えば「とうかさん」が有名だが、川や海との関わりが深い水の都らしい祭りがある。毎年旧暦6月14、15日が「すみよしさん」、17日は厳島神社の管絃祭、29日が「江波の火祭り」だ。今年は旧暦6月29日が7月29日。「すみよしさん」と「江波の火祭り」はいずれも漕(こぎ)伝馬(船)が重要な役割を担う。
 住吉神社(中区住吉町)の森脇宗彦宮司(58)によると、神社は1733(享保18)年勧請の浅野藩の船の守護神。「すみよしさん」は元は厳島神社の管絃祭の前夜祭だった。漕伝馬は長い間途絶えていたが、地元の方の努力で今年正式に復活した。
 15日の漕伝馬に雁木タクシーで並走させていただいた。紅白の市松模様の法被を着た漕ぎ手が神社のすぐ横の雁木から乗り込み、まずは神社前で輪を描くように漕いで回る。本川をさかのぼる櫂(かい)の音が風流だ。
 田辺雅章氏の「原爆が消した廣島」(文芸春秋)は「すみよしさん」について、「大漁旗をなびかせた漁船団に守られて、勇壮な音頭とともに曳(ひ)き船が川をさかのぼり、相生橋あたりで漕ぎ回しを行い再び川を折り返す。<略>川祭りには家々で、白身の魚を酢でしめた『ちらしずし』が振舞われた。大人たちは川沿いの旅館に陣取り、芸者衆とともに夜の風情を味わっていた」とある。森脇宮司の願いは昔の賑(にぎ)わいや風情を再現することだ。
 「江波の火祭り」は衣羽(えば)神社の摂社である住吉神社のご神体が江波の町内を巡る。午前中に陸上を回り、夕方から漕ぎ伝馬に曳かれて川を行き、江波の港に帰る。川沿いや港ではカキの養殖で使われた竹が焚(た)かれる。御座舟と漕伝馬はかがり火の前で3回漕ぎ回る。陸地では一斗缶を叩きながら「オットーランじゃい(神様のお通りだ)」の掛け声があがり、木遣りや太鼓の音とかがり火の灯(あか)りで、幻想的な時間が過ぎていく。
 昭和40年設立の「江波漕伝馬保存会」で長年労を取られ、衣羽神社役員の中田豊彦さん(65)にうかがった。江波の漕伝馬「明神丸」は18世紀に管絃祭の御座船を曵く栄誉を得て、現在13代目。昔は御座船から降ろされ港に仮安置されたご神体を夜の間に各町が取り合ったこと、漕ぎ回す時の櫂の使い方など、本当に興味深い話を聞かせていただいた。
 広島の水の都の夏祭りは川や海と結びつき、人々の生活に根付いていた。そんな幸せな関係を取り戻したいという思いが雁木組の活動の原点なのだ。
山崎学=NPO法人雁木組理事 (2011年07月21日 毎日新聞「雁木だより」から)

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2011年06月28日

雁木だより-3 シジミの色で川の具合わかる

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 広島市内のシジミ漁が旬を迎えている。巨大マンション群、新幹線の陸橋に帰宅ラッシュといった街の喧騒(けんそう)をよそに、川の中では静かに漁が行われている。
 太田川のシジミ漁は瀬戸内海の潮の満ち引きを利用する。満潮の本川。ゆっくりと潮が引いていく流れに船をまかせて、川底をかく。シジミを取る漁具「鋤簾(じょれん)」には、12ミリの網の目を通ったシジミがあがる。潮が低くなると、京橋川を中心に水の中に入って短い水鋤簾を使った漁がはじまる。さらに干潟が出現すると、漁は手掘りに変わる。川のどこかで終日みられるシジミ漁の風景は、水の都ひろしまの風物詩といってよい。
 広島市内水面漁業協同組合の鈴木修治組合長にお話をうかがった。京橋川で漁を始めて20年。シジミの殻は保護色のように河床の影響をうけ、太田川では砂地の色を反映して黄金色をしているのが特徴という。「シジミを見れば川の状況がわかります。黒色から金色にグラデーションのあるシジミは、小さい時に土にいて、砂地に移動したという証拠」。シジミの生態を熟知している鈴木さんならではだ。
 組合では、毎年春にヤマトシジミの稚貝を放流している。夏に産卵し、約2年半で15ミリほどに成長する。昨年の水揚げは約66トン。漁では12ミリ以下のシジミは川に返し、粒の大きさと水質のきれいさを「太田川しじみ」のブランドに生かしている。
 鈴木さんが取ったシジミは、京橋川に架かる常盤橋の雁木から水揚げしている。この雁木には毎年、地元の広島市立白島小学校の子どもたちが地域学習に訪れ、NPO法人「雁木組」が、水の都の歴史や川の文化を伝えている。子どもたちは、スーパーに並ぶシジミが、身近な川と結びついていること
に深く関心を寄せる。
 鈴木さんたちは地域の子どもたちとの関わりも深く、稚貝の放流、水質浄化活動のイベントなどに市民団体や地域住民とともに参加することもある。
 子どもたちには川の素晴らしさと共に怖さも知ってほしいと話す鈴木さんは、川で遊ぶ子どもたちを見かけると厳しく注意をする。「怖いおじさんと思われても仕方がない。子どもを守りたいですから」。自然の恵みと脅威を熟知した頼もしい漁師さんたちの存在に、水の都の魅力は一層深まっていくようだ。

(氏原睦子=NPO法人雁木組理事長 (2011年06月23日 毎日新聞「雁木だより」から)

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2011年05月27日

雁木だより-2 河岸緑地、今なお造成中

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 木々の緑が映える新緑の季節は、広島の水辺も美しい。雁木タクシーは、京橋川オープンカフェまでのクルーズが人気だ。
 平和記念公園を出航して相生橋をくぐると、玉石で造られた曲線の護岸と、河岸の草の絨毯(じゅうたん)、葉桜に変わった桜の並木の緑が目に入る。河岸の緑はここから基町、長寿園、京橋川に入って白島から縮景園、京橋、比治山へと続く。
 広島の水辺の美しさは、川に沿って延々と続く河岸の緑地によるところが大きい。この河岸緑地は、被爆後の復興に向けた議論の中で、それまで民家などが建っていた河岸を緑地にして、市民に開放しようと計画されたものだ。長さは約24キロで今も造られ続けている。河岸緑地は広島の素晴らしい財産だ。
 船が長寿園に近づく頃、緑の島が見えてくる。サギの営巣地として有名な中州だ。京橋川と本川が分かれる位置にある。
 近づいていくと、コサギ、アオサギなどが警戒して飛び立つ姿を船から見ることができる。この時期はヒナの声がかしましく、沢山の巣も見える。サギの中州はお客さんに喜ばれ、クルーズで自慢できる場所だ。
 京橋川に入り、花見の季節には賑(にぎ)わう白島辺りでは蛇行する川の流れに沿って緑が続き、枝が水面にまで垂れ下がる様子も楽しめる。
 新幹線の橋をくぐると見えてくる縮景園の緑のボリュームは圧巻だ。この縮景園の木々は被爆で壊滅的な被害を受けたのだが、広島県の努力で今の姿によみがえったものだ。
 栄橋を越え、右に舵を切ると、京橋川の雁木群が見え、京橋の向こうには川沿いのカフェテラスが見えてくる。このクルーズの目的地だ。河川敷の緑地に民間営業のカフェテラスが並んでいるのは広島市だけだ。
 河岸緑地にカフェテラスを作りたいと熱望され、実現されたのは、今年亡くなった「ホテルフレックス」(中区上幟町)の高橋弌さんだった。ホテルの前の緑地に椅子とテーブルを出し、珈琲を飲みながら、「ここに建物からテラスを出して、カフェテラスを作るでしょ、それがこの河岸に並ぶと、広島ならではの風景になると思うんだけど」と話された頃が懐かしい。ホテルフレックスのカフェテラスは粋で、女性にも人気がある。
 河岸の緑もカフェテラスも、広島の水辺の風景を想い描き、実現してきた広島人の努力の賜物(たまもの)なのだ。
(山崎学=NPO法人雁木組理事 2011年05月26日(毎日新聞「雁木だより」から)

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