2011年10月28日

雁木だより-7 秋の水辺、一層のにぎわい

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写真:坪島 遊

 秋になると水辺では実に多彩なイベントが行われる。
 9月の第2日曜日(今年は11日だった)には猿猴川の大正橋から平和橋までの西側緑地で「猿猴川河童まつり」が開かれる。今年で14回目。猿猴川をきれいにし、町を元気にという趣旨だ。河岸にずらりとフリーマーケットやバザーが並び、猿猴=河童に扮(ふん)する人も登場する。地元が中心になって協賛を募り多くの方が協力されている。水辺のイベントの中でも最もにぎわいのあるものの一つだ。雁木タクシーにも子供たちがたくさん乗ってくれる。
 10月2日の日曜日には本川の中央公園西側緑地で「砂持(すなもち)加勢まつり」が開催された。洪水を防ぎ、船の運航を容易にするために川に溜まった砂をさらう作業=砂持ちを応援=加勢するという祭りだ。幕末に町民が藩に願い出て費用を半分負担する代わりに許可された。町ごとにそれぞれ趣向を凝らした山車を作り、扮装、踊りで何日も城下はにぎわった。
 この町衆の心意気にあやかり、水の都らしい祭りを再現し、まちの活性化に役立てたいと3年前に始まった地元組織や市民活動団体などが実行委員会をつくり雁木組も参加している。公民館に集まる方や小学校、市民活動団体が山車を作り、パフォーマンスを行うほか紙芝居、太鼓、木遣りなどが披露される。昔、白島の堤防を固めるために藩から許可された踊りも楽しめる。どこか懐かしく川の祭りにふさわしいものにと思っているが、今年は子供たちのカヌー体験が大人気だった。
 11月の最後の金曜日(今年は25日)、「雁木クリスマス&水辺ジャズ」というイベントを京橋のたもとで開催する。雁木組が呼びかけて地元の方と実施するようになり今年で5回目。周辺に残る古い雁木を通じて川とまちの関係を考えるきっかけにしてもらい、仕事帰りにジャズの生演奏を楽しもうという趣旨だ。事前に町内の方と一緒に古い雁木と護岸の清掃を行うほか当日はロウソクの灯で雁木を装う。実行委員長の稲荷町町内会会長、秋田正洋さん(60)は「この辺りは水辺の町なので何かできないかと考えていた。このイベントは地元にとってもうれしいことだ。大事なことは地元が主体的に動くこと。今後も続けていくが、もっとイベントを増やしていきたい」と、これからの抱負を話された。
 この他の水辺でも場所ごとに特徴的なイベントを地元が主体的に関わって実施されていて、頼もしいかぎりだ。この調子で続けていけば、みんな、もっと水辺が好きになる! 
文:山崎学=NPO法人雁木組理事(2011年10月20日 毎日新聞「雁木だより」から)

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2011年09月27日

雁木だより-6 心和ませる曲線の川岸

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写真:土居郁夫

 平和記念公園の北に架かる相生橋の上流、中央公園北側道路の位置までの基町側川岸は、ともすれば直線の護岸を造りがちな現代では、非常にユニークな形態をしている。丸い玉石を貼った曲線の護岸が続き、草地が気持ちよく広がる。この区間のほぼ中央に架かる空鞘橋から上流は特に草地の幅が広く、いろいろなイベントも行われる「水の都ひろしま」の象徴的な川岸だ。
 雁木は3カ所あるが、相生橋上流の2カ所の雁木は、昔からこの辺りに川の水流を弱めるために造られていた水はねの形をしている。護岸全体はゆるくカーブを描いていて、そこから水はね部分が飛び出している。上流部には広い草地にポプラ、ニセアカシアの2本の木が意図的に残され、空間にアクセントを与えている。全体的に設計者の中村良夫さんの想いがこもった、気持ちのいい、心を和ませてくれる水辺だ。
 昔、この川岸には塀で結ばれたお城のやぐらが連なって立っていた。空鞘橋下流に、やぐらの基礎石と思われる石が草地から顔を出している。明治時代には城内に陸軍の施設が建設されたが、原爆を受けたあと、川岸では応急住宅が密集して建つ状態が長く続いた。応急住宅は基町市営アパートの完成にあわせ順次撤去され、1983(昭和58)年、現在のような美しい緑地が完成した。
 応急住宅の頃からこの場所で広島の復興を見守ってきた大きなポプラの木がシンボルだったが、台風で倒れ、今はその2世のポプラが育っている。城下町、軍都、戦災復興、平和都市の建設と広島の時代の変遷をこの基町の川岸は体現してきた。この場所で散歩やジョギング、花見やピクニックなど日常的で平和な光景を目にする時、少しの感慨がある。
倒れたポプラの再生活動を契機として緑地の管理者と協定を結んで除草や清掃、イベントの開催などを行っている「ポップラ・ペアレンツ・クラブ」の幹事団体代表の隆杉純子さんは、活動に込める想いを次のように話す。「黙々と草を刈り、ゴミを拾っていると通行する人が、ご苦労さまです、と声を掛けてくれることもあって励まされます。見慣れた風景であっても、足元には歴史の地層が幾重にも重なっていて、その時代ごとに暮らしが営
まれていました。今後も周辺一帯がにぎわうよう、市民のひとりとして協力し、見守っていきたいと思います」
 澄みきった空の下、ポプラの葉が揺れる9月は基町の川岸が最も輝く季節だ。
文:山崎学=NPO法人雁木組理事(2011年09月22日 毎日新聞「雁木だより」から)

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2011年08月28日

雁木だより-5 平和と慰霊の軸上に「親水テラス

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写真=氏原睦子

 原爆投下前は中島地区と呼ばれ、江戸時代から続く広島市最大の繁華街であった現在の平和記念公園は、昭和24(1949)年に公布された広島平和記念都市建設法に基づいて整備された。広い公園内には様々な慰霊碑が点在し多くの人が訪れるが、この公園を基点にした広島復興の基軸がある。広島平和記念資料館(原爆資料館)と原爆慰霊碑、平和の灯、原爆ドームを結ぶ直線がそれで、平和記念公園の設計者・丹下健三氏の意図によるものだ。この軸線は、その後の市営基町アパートや県立体育館の施設整備でも意識された。
 この軸上に「親水テラス」と呼ばれる立派な雁木がある。元安橋のたもとにあり、毎年灯籠流しが行われる。今年も「原爆の日」には1万個を超える灯籠が流された。灯籠流しは犠牲となった方の追善と供養のために、亡くなった方の名前と自分の名前を書いた手作りの灯籠を流したのが始まりと言われている。最近では修学旅行生や一般観光客によって時節を問わず行なわれており、灯籠には世界平和への思いや願いが書かれているようだ。
今では灯籠流しは、慰霊と平和の願いの両方の意味を持つようになっている。
 修学旅行生による「平和学習」や「体験学習」をプロデュースし、修学旅行を誘致する活動を続けられているのが、原爆ドーム東にある「相生旅館」の女将で社長の小田富貴子さん(67)。単に観(み)るだけでなく、フィールドワークや詩の朗読会などを準備する。一番大切にしているのは、子供たちが受け身で学ぶのではなく、身体を動かすことで心に残る修学旅行になればということだそうだ。
 そうした思いで提案しているのが灯籠流しで、事前に自分たちで灯籠を作り、宿で組み立てて、親水テラスから流してもらう。雁木組はこの灯籠の回収作業をお手伝いしている。灯籠を流す行為がいつまでも心に残り、子供たちが平和の大切さを理解してくれればと思って続けているそうだ。8月末には、福島県から日延べになっていた学校が訪れる予定だ。
 親水テラスは対岸に原爆ドームを見ることのできる絶好の場所で、灯籠流しだけでなく水辺のコンサートやパフォーマンスなどが頻繁に行われ、夏には夕涼みがてら雁木に腰掛けて語らいの場になるなど、市民に愛されている。平和都市広島を象徴する雁木である。
文:大西慶和=NPO法人雁木組(2011年08月25日毎日新聞「雁木だより」から)

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